2012年12月2日日曜日

キム・ブライアン


もしも私が19世紀の韓国の指導者だった


    はいつも「興宣大院君(こうせんだいいんくん)」わりに19世紀指導者だったら歴史えることができるとえる。それだけ19世紀中盤から20世紀中盤までの歴史悲劇といえる。19世紀のアジアは欧米帝国主義列強侵略があり、くの欧米列強植民地になった。もちろん、アジアのである日本らの侵略対象だった。しかし、両国運命地獄の差異だったといえる日本は「明治維新」という改革成功欧米化されてになり、はそのような​​本植民地になって36間支配けた。いったいなぜこのような結果発生したのだろうか

    19世紀は「朝鮮(ちょうせん)」ばれる王朝存在した。当時の「朝鮮」腐敗く、してかった。このような時期に一人れた。その人は「興宣大院君 (こうせんだいいんくん)」の「李昰ハウ )」とばれるだった。「興宣(こうせん)」が「朝鮮」の王族という立証するであり、「大院君(だいいんくん)」であった。自分息子になると摂政をして、強力権力つようになった。は「朝鮮」腐敗清算して乱した社会してくした。そこまではかった。しかし、致命的政治的ミスをしてしまった。まさに西洋との国交正常化拒否したのだ。西洋文明だといし、当時の「朝鮮」存在していた西洋キリスト弾圧した。しかし、これは時代れにされるであり、「朝鮮」滅亡原因となり、日本植民地にされる結果んだ。

    19世紀日本れば、「明治維新」皮切りに、国の力が、急速発展していた。は、西洋国強兵がなされてくの思想家学生西欧文物び、 西洋へ留した。このような​​本歴史れば、むしろ日本くならないのが不思議だと思う。このような​​本とはなり、「朝鮮」はむしろじていたのだ。その、「朝鮮」えないほどく、36植民地支配当然結果だったといえる悲しい事だった。国人だが正直言うと、この時期歴史いだ

    日本によるの植民地支配が終わってから60ったが、でも日韓関係いとうことはない。日本過去歴史清算問題もあるが、「興宣大院君」を始まりに19世紀の「朝鮮」支配層世界れをよく把握していなかった理由もある。もしが「興宣大院君」だったら条件に西洋国交をしてらの文物れるだろう。また、指導者にもかかわらず直接西洋びにくだろう。でも直接見るのとじくらい重要なことはないからである。にすることができれば、身分わない拒否しないだろう。このが「朝鮮」の指導者だったら、日本の「明治維新」のような改革成功させ、日韓関係もあまりくなかっただろう可能であれば、19世紀一度ってみたい。

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