もしも坂本龍馬が暗殺されなかったら
慶応3年(1867年)11月15日。深夜、中岡慎太郎が京都近江屋にいた坂本龍馬を訪ねて来た。そこに、3人の武士が来て『十津川郷士のものだが、坂本先生はおられますか』と言った。龍馬と慎太郎は刺客の襲撃を受け、命を落とした。これは日本の幕末に起きた有名な近江屋事件である。
2000年から2010まで連載していた人気マンガ『JIN仁』は現代の医師が幕末にタイムスリップし、龍馬と出会うと歴史はどうなるのか描いたストーリだ。残念なことに、歴史の修正力で現代の医師南方仁先生でも龍馬の命を救えなかった。しかし、もし龍馬が暗殺されず生き残っていたらと日本の歴史は大きく変わっただろうか?今の日本も変わっていただろうか?
龍馬はそんなに日本の歴史を変えないはずだと思う。龍馬は新政府に勤める希望がなく、船中八策の実現は彼の新日本を作るまでの最後の望みだ。船中八策の内容は
1.全国の人材を新政府の役職者とする
2.有能な人材の登用。朝廷内部の刷新。
3.開国
4.憲法の制定
5.二院政の議会の設置
6陸海軍の拡充
7.御親兵の設置
8.金銀交換率の海外の均一化
実は、龍馬の死は新日本の誕生が止まれなかった。のちに三岡八郎は龍馬の船中八策をもとに『五箇条の御誓文』の草案を作った。確かに、龍馬が想像した日本は現在の日本と大きく異ならない。
龍馬は高知県出身の土佐下士だが、商売の才能があった。彼の先祖は元々商人で、土佐の上士から侍の身元を取り引きした。だから、龍馬は商売の才能を活かして、豪商になる可能性がもっと高いと見られる。幕末の社中という組織はよく今の会社と似ている。亀山社中は龍馬達が立ち上げた総合商社だった。もしも龍馬が生きていたら、彼はアメリカやイギリス等の先進国を周遊するかもしれない。とにかく龍馬は珍しいものが好きだった。ちなみに英語を熱心に勉強していた龍馬はアメリカに留学するもかもしれない。彼は自由奔放な男だから、アメリカの文化が好きになり、英語を明確に把握し、アメリカの商人と貿易をする可能性は一番高いと思う。
また、もしも龍馬が暗殺されなかったら、現在の三菱グル-プは存在していないはずだ。龍馬の土佐同士、岩崎弥太郎は三菱グループの創立者だった。しかし、龍馬の裕福と違い、弥太郎の実家は貧乏な農家だった。弥太郎は頭が良い、勤勉な男だ。彼は龍馬から経営学の指南を受けた。弥太郎の経済観念は、龍馬との出会いによって啓発されたと言える。晩年の弥太郎は三菱財閥を作り、『東洋の海運王』とよばれた。もし仮に龍馬が死んでいなかったら、三菱グループでなく坂本グループができていたかもしれない。龍馬の死は弥太郎に出世できる機会を与えた。
龍馬の死は遺憾で、33歳の誕生日に大業を終わらず非命の死を遂げたが、彼は今でも人々の心の中に生き続けると考える。現代に生きる龍馬は日本の社会にもいる。ソフトバンクの社長孫正儀及び大阪市長橋下徹達は龍馬の精神を活かし、商業の世界でも政治の政界でも活躍している人物だ。しかし、孫正儀社長や橋下徹市長という現代龍馬の日本人はやや少ない。日本の政治家は国民の福祉を優先せず自分の利益や党の利益のみ考えている。もしも龍馬が長生きし、今の日本を見たら、彼が必死に作った新日本はこの不景気の状態になる。龍馬でも失望するだろ。だから、今の日本はもっと龍馬のような政治家やビジネスマンが必要だと思う。
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