2012年12月2日日曜日

ガン・カンイン


もしも私に力があったら

      もし私がもっとバカだったら、何も気にせずに生きていたなら、こう望みはしなかっただろう、力が欲しいと。私はこの世界が誰よりも好きであり、誰よりも憎んでいる。家族が、友達が、大切な人たちがいる世界が大好きだ。故に許せない、この世界を汚そうとする存在を。中学一年生の頃からだっただろうか、絶望の淵に立ちこの世界の裏に、人の醜さに気付いたのは。地球を汚染し、他者を殺め、虐げ、果てない欲望の為に動く人間達。先人達の血と命を引き換えに得た平和を、人は忘れまた繰り返していく。皆は仕方がないんだと言う、本能だから、それが人間だからだと。。。でも私は納得いかない、何故こんな悲しい世界を、変えられないのかと。自分の非力さには情けなく感じる。だから誰よりも力が欲しい。世界を変えられる力が。私が思い描く世界とこの力の使い道について考えたい。

      私のいう力は全てを超越した力、不可能を可能にできる力である。もはや普通の方法じゃこの世界や人を変えることはできない。人類の長き歴史がそれを証明しているのではないだろうか。人類誕生から長き日が経ち、未だに人そのものは何一つ変わっていない。欲望、怒り、悲しみ。これら負の感情が人の本能であるなら、反対の感情もまた人の本能である。私は信じている、どんな人でも分かり合える心を持っていると、どんな悪人でも一かけらの善の心を持っているんだと。

      私が思い描く世界、それは誰もが平和に暮らし、幸せになれる世界である。すべての人が本当の意味で分かり合える世界、憎しみ、悲しみ、嘆き、それらを捨てるのではなく、何もかも受け入れ包容できる世界。国という境界線はなく、世界が一つにまとまり、傷つけあわずに済む世界。

      私の大まかなプランは、まずこの力でこの世界の闇を潰す事である。そして全世界に公開する、人々が知らない真実を、この世界の裏の顔を。すべての人がこの世界と本当の意味で向き合う事で、初めて考えることができるはずである、世界と人はこのままでいいのか。自分の頭で考えろ、何が正しいのか、何が間違っているのか。たとえ国が違えど、話す言葉が違い、違う思想を持っていても、一つだけ同じ思いがある、本当に幸せな世界を望んでいるという思い。そしてこの力で全ての人の心を繋ぎ、一つにする。そうする事で他者と理解しあい分かり合えるはずだ。

      そしてもう一つだけある、世界を一つにする方法が。それは私が全人類の敵になる事。全ての人間に宣戦布告をする事である。共通の敵を持てば、人は一団となってその敵に立ち向かう。共通の敵がいれば、人は一つになれる。勿論私はその時もはや人並みの幸せすら許されないであろう。でも構わない、それで人が、世界が変わるのならば。

      皆はちょっと複雑に考えすぎなのではないだろうか。宗教、教育、歴史、経済、言語、文化。数ある現実の要素に目がくらんでしまったのではないだろうか。誰かが示さなければならない。世界は、人は、こんなにも簡単だという事を。たった一つのキッカケで世界は変わる、人は変わることができる。もううんざりだからだ、この悲しみに満ちた世界は。だから力が欲しい、この世界を変えられる力が。

2 件のコメント:

  1.    世界を変わるほどの力か。ガンさんも他人とことを言えない欲張りさんだね。まあ、私も力が欲しいから、あのようなことを言う資格もないけど。しかし、私はたとえ力があっても、世界を救うなどは考えないだろう。私はガンさんほど大きい人間じゃないから、誰か一人だけを守られるくらいで満足できるだと思う。
       けれど、誰かを救うことは、つまり誰かを諦めること。誰かを幸せにすることは、誰かを不幸にすることとも等しい。それがこの世界が抱いている矛盾、これだけは忘れないでくれ。
       では、ご武運を。

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    1. 分かってますよヤンさん。
      矛盾は常に存在する。だけどそれだから諦めるわけにはいかない、こんな悲しい世界はいやだから。
      皆同じなんだよ、考え方、人種、環境、すべてが違っていても人は理不尽が許せず果てしない悲劇に憤る、それはみんなが心から幸せな世界を望んでいるから。

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