2012年12月2日日曜日

パスコー・ジュディス


もしも100年前に生まれていたら
            もしも私が100年前に生まれていたら、大胆な生活があったと思う。
理由は以下の通りである。世界の探検に関して、2012年は1912年ほど面白くないと思う。1912と比べると、2012は年は全くありふれた年にすぎない。もちろん、今私達は科学技術の時代に住んでいる。そして、科学技術は偉大な力を私達に与えてくれた。しかし1912年に人々は面白い発見の時代に住んでいた。例えば、当時、探検家達は世界中で道なき道を行った。だからもしも私が100年前に生まれていたら、大胆な生活があったかもしれない。
            1912年は探検の時代の真っ最中だったので、多く当時生きている人々は大冒険の誘惑を感じた。例えば、英国の極地探検家 Captain Robert Falcon Scottと他の探検家四人は南極点に到達した。その上に、Albert Berryは飛行している航空機から初めてパラシュートで飛び降りた。フランス人飛行士のHenri Seimetも三時間でパリからロンドンまで初めてノンストップ飛ぶんだ。そして1912年にもHarriet Quimbyは英仏海峡を飛行機で横断した最初の女性になった。本当に1912年には世界中で多く人々は新しいことを経験した。それと関係した話では、日本で1912年に新しいデモクラシーのスタイルを持った大正時代が始まった。そして、大正時代間に日本の女性はもっと自由を持っていたし、より多くの教育の機会をもらった。アメリカでも、あまりにも早く、1920年代した後、女性は新たな自由を経験した。
            1912年に住んでいたらもちろん面白かったが、探検や新しい科学技術などは問題になってきた。例えば、多く南極の探検家は南極で遭難し、死亡した。英仏海峡を飛行機で横断した二か月の間後に、Harriet Quimbyの新しいモノプレインは墜落して、Quimbyさんが死亡した。1912年は最悪の災難年だった。タイタニック号が最初の航海中に沈んだのが1912年のことだ。タイタニックは最先端の科学技術があったが、タイタニックの災難ほど恐い物はなかった。
1912年に科学上の発見と科学技術の進歩と大きい災難も着いた。
            私は、あまり大胆ではないが、私の1912年に生まれた自身について考えると、Harriet Quimbyに似ている人を想像する。私は歯を食いしばり、喉元までせりあがった感情を強引に飲み込んで、航空機に乗り込む。いっそのことCaptain Robert Falcon Scottと南極に行くが、南極点で死なないことを祈る。なぜなら、それのすべて新しい発見は1912年に起こしたので、とりわけ日本の大正時代の間に住んでいたい。私の意見では1912年が興味深い年だったと思う。1912年に生まれたでいたら、毎日モニターから目をそらさずにコンピュータの前に座っている代わりに、世界中の大冒険を経験出来る。毎日アイオワシティーの近所だけ見る代わりに、南極点か大正時代の日本が見られる。ScottさんとBerryさんとSeimetさんとQuimbyさん同様に、私は新しい発見をし、未知の場所を訪問したいと思う。最後に私は1912年の生活が一番だという結論に達する。

1 件のコメント:

  1. ストラスマ・アマンダ (Amanda Strawsma)2012年12月5日 7:59

    パスコーさん、

    歴史はパスコーさんの専攻か興味ですか。私はたくさんの歴史の人を知りませんが、インタネットでこの人を探しました。私がもしもし100年前に生まれていたら、「flapper」だと思っています。そのはちょっとつまらないが、パスコーさんの目的がとても面白くて、具体的です。

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