2012年12月6日木曜日

ホウ・ナタリー

もしも私が猫だったら

   誰にとっても人生はただ一回限り、一番貴重なものである。生まれてから死ぬまで、人間にとしてこの人生を歩いて行く。そのために、皆は自分の意識でそれぞれの選択や道を選び、様々な異なる人生を生きる。でも時々自分の現実から脱出したい、ほかの人生や生き方を選びたい人もいるかもしれない。例えば、私がたまに大きな悩みことがあったら現実から逃げたいと思う。「鳥になりたいな。。。私が鳥になったら何処でも飛んでいって、悩みさえも消えてしまうだろうな。」このような人間になりたくない時もあり、ほかの動物やものをなりたい気持ちが時々現れる。
   様々な動物の中で、私が一番なりたいのは猫である。もしも私が猫だったら、自分の人生がどんなに変わってしまうだろうか?猫の目に映し出される世界はどんな世界なのか?私は時々そう想像する。私にとって、猫は魅力的なキャラクターを持っている。猫はいつも自分のことだけ考える。言い換えれば、猫はとてもわがままな生き物である。しかし、その性格が持ちこそ猫が自身の本心を従う、振り回されない人生を生きる。それは人間としてできない生き方だと思う。なぜなら、人間とは一人で生活できない群生動物であり、自身のアクションは周りの人々を影響する。つまり、まず周りの人のことを考えた上で、自分のことを考えるのはこの世に人間が生きていくなら守るべき大切なルールだと思う。でも時々人々はこのルールを守る結果、自分自身の本当の気持ちとやりたいこともできなくなる時がある。だからもしも私が猫だったら、絶対に自分の本心に従って自分がしたいことをする、後悔しない人生のために生きるだろう。
   でも、私は猫になりたいと言ったが、毎日猫になるのはちょっとつまらないかもしれない。猫になれば、いろいろ不便利なこともあり、例えば、毎日の食べ物を探すのは大変なことでその上、住む場所を探すのは厳しく危険性も高い。そしてただいつも自分の好きなことばかりすることは、人間にとっては幸せじゃないことと思う。それは、人間は責任とストレスがある上で、成長できるからである。猫だったら、人のように成長するのは不可能だと思う。だから私はただ一日だけ猫になって猫の生活を体験できれば最も満足である。
   もしも私が猫だったら、毎日は新しい冒険である。そして猫になるなら、世界が広がるだろう。猫は優れた跳躍能力と敏捷さに頼り、いろいろな人間に見つけられない秘密基地を冒険する。さらに猫は独立な立ち退かされた動物なので、都市から田舎まで何処にも流浪することができる。そして平日の何もしたくない時は屋根に登っていい眺めを独占する。疲れた時は寝る、日がな一日寝て過ごしても大丈夫。夜には町をゆったり歩く。そして時々猫たちの集会に参加するかもしれない。毎日は自由で自分が好きな生き方をする。

2012年12月2日日曜日

タン・シャオチ


もしも来世があったなら

  私は作文のタイトルを見て、どんなことを書いたらいいかをずっと考えている。もしも自分の人生がもう一度始めできるなら、どんなことを変えたいって、正直に別に私は後悔することがない。だが、将来のことは不確定性が高く、私は考えたくない。

  「生まれ変わったら、医者にないたい。だけど今は、夢はまた夢だ。来世を楽しみにしておく」とある人が言った。私は一度「一度自分に生まれ変わりたい生きてきた人生中で良い事も有ったが悪い事も有った 悔やんだ事をやり直したい」と考えたこともある。だが、考えれば考えするほど人間としての人生は面倒すぎる。それに個人的に、私は来世の存在を信じない。人生は一度きり、死ねばそれで終わる。でも時々人は夢を持った方がいい。多分来世も、現世と似たり寄ったりの人生になることかな。

  もしも来世があったなら、私は樹になりたいと思う。小さい樹ではなく、大きな、一人だけ太陽と月に一番近い樹だ。種類は松柏ならよい。以前私は竹になりたかったけど、竹はパンダに食べられる可能性が高すぎるので、やめる。私はパンダ恐怖症があるかもしれない。「どうして人間になりたくない?」とある人が聞いた。人間は複雑すぎる生物だ。何も自由にできないし、感情もたくさんあるし、生きるために他の人を傷つけることもある。樹になると、もう一つ の利点は上の空気が最高なことだ。もちろん樹も自由に何もできないが、私は何も考えなくて、ストレスがないまま生きればよい。結婚とか、仕事とか全然気にしなくてもいい。気にすることはただの一つしかないーー高い樹になることだ!高くなると、私はこの世界の様子が全部見える。この世界で生きている人間はどんな所でどんなことをしているのか、笑顔も泣く顔も全部見たい。私は音楽が好きだが、樹になると、多分音楽を聞くことができない。だが、森の中に音楽がある。そよ吹く春の風さらさら流れる夏の川、風で散っている秋の葉は私の音楽だ。 「 風がそよげば、身を任せ。雨がふれば、一滴ものがさず受け止め。嵐が訪れれば、じっと耐え。雪ふれば、空をみあげて。く深い枝をもった、樹になりたい」私が好きな作家はこの詩を書いた。 考えれば考えるほど、樹の生活が面白い。そして樹になると、私はアイスランドの森と山の中で生きたい。アイスランド天空に光舞が有名なので、一度行って見たい。 私は蛍が大好きなので、樹になっても、蛍が好きな樹だ。 それに、夜に星の降る空が素敵だ。静かに星空を見上げて、私は樹にとして人生を考える。

  「樹が最高だ!」この気持ちを持っている私は、来世があったなら、樹になりたい。人間として今の人生ではできないことがたくさんあるが、私はこのまま後悔することはない。それは私の一番自慢することだ。私は来世の存在を信じないが、来世は今の人生の希望だと思う。だから今の人生はもし夢があったら、夢を追いかけよう!

ジェイコブス・ローレン


もしも何でもすることが出来たら。。。

      もしも私が何でもすることが出来たら、私はメイクアップアーティストになる。私は学校時代以来、メイクアップに興味を持っていた。私はメイクアップに興味を持つようになって以来、ちゃんとメイクのし方を学びた。メイクアップをちゃんと付けられるために、Youtubeのメイクアップビデオを見た。例えば、メイクアップアーティストのミシェル·ファンやBubzbeautyの番組を見て、色々なメイクのテクニックを教えられた。メイクアップをすることは幼稚に聞こえるかもしれないが、私はオンライン国際メイクアップコンテストを受賞してた。私の友人の結婚の前に、友達のメイクをした。また、毎年ハロウィーンにメイクアップをして、色々な映画やアニメのキャラクターに見えるようにする。ハロウィーンに、芸者、侍、ゾンビ、バットマンのジョーカー、ダース·モールの映画のキャラクターや人物をメイクアップでドレスアップしたことがある。私はメイクアップで様々なキャラクターや人物に見えるようにするのは楽しいと思う。だからもし何でも仕事が出来たら、メイクアップアーティストになりたいと思う。

      もしもメイクアップアーティストになったら、映画の俳優のメイクアップをしられる。映画の俳優のメイクアップをしたら、映画を見る時、私の作品を見ることができるだろう。ロード·オブ·ザ·リングやザ·ハンガ·ケームズやパイレーツオブカリビアンの俳優のメイクアップをしたかった。私は俳優に会えることにとどまらず、モデルにも会える。それにもし私が映画のメイクアップアーティストだったら、世界中を旅することが出来るだろう。色々な場所に行ったり人々に会えるから、面白い仕事だと思う。私がメイクアップアーティストになれれば、劇場やテレビ番組でも働くことが出来る。メイクアップアーティストは、有名になることが出来るし、給料が高い。しかし、メイクアップアーティストになる一番大切な理由は、私の興味と旅行をすることが出来ることだ。

      あいにく、私の住んでいる所には有名な美容学校がない。それに自分一人で大きな都会に住んだら、少し寂しくなると思う。私メイカップアーティストのジョブを取ったら、家族を開始することができない。私は友達や家族に近い所に住んでいるのが好きだから、遠い場所に住むことは難しいと思う。私がメイクアップアーティストになりと友人や家族と近いに住むことができれば、それは完璧なライフスタイルだ。

      私が何でもすることが出来たら、メイクアップアーティストになる。完璧な仕事で、楽しいと思う。私の趣味が私の仕事になる。メイクアップアーティストになることは私の夢だ。私がメイクアップアーティストになったら、すごく幸せになるだろう。でもアーティストになれなかったら、メイクアップは趣味で続けていく、それでも幸せだと思う。

シン・ジュンヨン


もしも私が急に金持ちになったら

      金が人にとって大事なものになっている今、多くの人々は金のために働き、戦い、そして金のせいで泣いたりしている。このような現実を考えると、自分が金持ちになる想像を一度もしてみなかった人はあまりいないと思う。特に、大学生や、社会人になったばかりの人など、そして他にも今金および収入が足りない人々の中には、大金を稼いで幸せになる夢を持っている人が多いはずだ。それでは、金を急にたくさん得ることになったら、それで何をするか。おそらく人によって様々な考えがあると思う。自分のために使いたい人も、家族のために使いたい人も、他の人のために寄付したい人もいるだろう。考えてみれば、私も金持ちになりたいと考えたことはあるが、その金で何をするかに関しては真剣に考えたことがない。金持ちになれるかどうかは分からないが、この作文はそれを考えてみるいい機会かもしれない。

      それでは、もしも私が急に金持ちになったら何をするか。私はコンピューター科学を専攻している学生で、最初はやはりコンピューターのことしか考えられない。もっと早い、そしてすばらしいコンピューター、それに大きいモニターはコンピューターが好きな人ならだれでも欲しいものだ。それ以外にも学費、家賃、生活費など、他にも金が必要なところはたくさんある。私自身のために十分金を使った後は、家族のために何をするかを考えるようにしたい。親に世界旅行をさせたり、今私と同じようにアメリカに留学している姉も手伝ってあげたい。家族全員を手伝った後は、残りの金を全部貯金して、何か金が必要な時に使えるように準備しておきたい。特に、急に病気になった時、それに事故が起こった時のために保険に入ることもいいと思う。

      しかし、金持ちは必ずしも幸福ではない。それには様々な理由があるが、最初の理由は金持ちはだいたい人々の注目の的となることと関係がある。そのせいで、世界の様々な国で様々な理由で急に大金をもらった人が、その金を狙う人々のせいで、結局自分が住んでいた国から脱出しなければいけないこともあるらしい。もう一つの理由は、昔もそうだったが、現代の金持ちは勝手なことばかりすると嫌われるので、金を使う時に考えることが多いからだ。ほとんど全てのことに金が必要になった今は、金そのものが力だ。そして、力にはいつも義務が伴う。現代の金持ちは社会的責任を無視することができなくなったので、自分と周りの人のためだけに金を使うのは難しい。金持ちの中で、財団を設立する人や、様々なところに寄付をする人が多いのはそれが理由だと思う。

      金持ちになる想像をするのは一応は楽しいことだが、その一方で悲しくなることもある。それはなぜなら、自分が金持ちになって自分と周りの人のためにしたいことを楽しく想像した後、もう一度考えてみると金持ちになりたくてもなれない悲しい現実が見え始めるからだ。でも、そんな現実を乗り越えることこそ金持ちになれる資格だと思う。それで、今の私はただの貧乏な大学生だが、今回考えた様々なことが無駄にならないように、今からもっと頑張って生きることにしようと思っている。

キム・ブライアン


もしも私が19世紀の韓国の指導者だった


    はいつも「興宣大院君(こうせんだいいんくん)」わりに19世紀指導者だったら歴史えることができるとえる。それだけ19世紀中盤から20世紀中盤までの歴史悲劇といえる。19世紀のアジアは欧米帝国主義列強侵略があり、くの欧米列強植民地になった。もちろん、アジアのである日本らの侵略対象だった。しかし、両国運命地獄の差異だったといえる日本は「明治維新」という改革成功欧米化されてになり、はそのような​​本植民地になって36間支配けた。いったいなぜこのような結果発生したのだろうか

    19世紀は「朝鮮(ちょうせん)」ばれる王朝存在した。当時の「朝鮮」腐敗く、してかった。このような時期に一人れた。その人は「興宣大院君 (こうせんだいいんくん)」の「李昰ハウ )」とばれるだった。「興宣(こうせん)」が「朝鮮」の王族という立証するであり、「大院君(だいいんくん)」であった。自分息子になると摂政をして、強力権力つようになった。は「朝鮮」腐敗清算して乱した社会してくした。そこまではかった。しかし、致命的政治的ミスをしてしまった。まさに西洋との国交正常化拒否したのだ。西洋文明だといし、当時の「朝鮮」存在していた西洋キリスト弾圧した。しかし、これは時代れにされるであり、「朝鮮」滅亡原因となり、日本植民地にされる結果んだ。

    19世紀日本れば、「明治維新」皮切りに、国の力が、急速発展していた。は、西洋国強兵がなされてくの思想家学生西欧文物び、 西洋へ留した。このような​​本歴史れば、むしろ日本くならないのが不思議だと思う。このような​​本とはなり、「朝鮮」はむしろじていたのだ。その、「朝鮮」えないほどく、36植民地支配当然結果だったといえる悲しい事だった。国人だが正直言うと、この時期歴史いだ

    日本によるの植民地支配が終わってから60ったが、でも日韓関係いとうことはない。日本過去歴史清算問題もあるが、「興宣大院君」を始まりに19世紀の「朝鮮」支配層世界れをよく把握していなかった理由もある。もしが「興宣大院君」だったら条件に西洋国交をしてらの文物れるだろう。また、指導者にもかかわらず直接西洋びにくだろう。でも直接見るのとじくらい重要なことはないからである。にすることができれば、身分わない拒否しないだろう。このが「朝鮮」の指導者だったら、日本の「明治維新」のような改革成功させ、日韓関係もあまりくなかっただろう可能であれば、19世紀一度ってみたい。