世界で最も貧しかった韓国がどのように短期間で経済成長を遂げたのか
五十年前の韓国は1人当たりの国民所得が50ドルにしかならない、世界で最も貧しい国の一つであった。二十世紀の初中盤は確かに韓国の歴史の中で最も悲惨な時期だった。日本の侵略で国が滅びたし、日帝強占期と呼ばれる三十六年の日本の支配と収奪、そして解放後は韓国戦争が発生して、国民と国土は荒廃した。韓国に残っていたのはただ貧困と絶望だけで、世界の誰も韓国に希望を期待していなかった。私の祖父の言葉によると、五十年前の韓国は乞食と飢えで死ぬ人が多かったさらには北朝鮮よりも貧しかったという。もしこのような事実を、世界の多くの国の人々に話をするとは到底信じられないだろう。その後、五十年には世界で最も貧しい国だった韓国がどのようにこのような短期間に経済成長を遂げることができたのだろうか?
二十世紀後半の韓国の経済成長は、一言で奇跡としか表現できない。世界の多くの経済学者が韓国の経済成長に驚きながら、韓国の首都ソウルを流れる川の名にちなんで「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼んでいる。ところが、このような経済成長は、独裁で始まった。その当時、韓国は政治的そして社会的に不安だった時期であり、共産化の危険があった。この時、クーデターを起こした兵士たちの中の「朴正熙」(パク・チョンヒ)という軍人司令官が大統領になった。彼は現在、親日売国奴あるいは独裁者の過去のために韓国で論争の対象になっている人だが、韓国の経済成長に大きな役割をはたしたと評価されている。彼は民主主義より恐るべき経済成長を選択した。まず、多くの批判を受けてまで、日本との修交をして過去の植民地支配に対する補償金を受けてきた。この涙の補償金で韓国の経済発展に注力した。この時登場したのがまさに「セマウル運動」である。「セマウル運動」は、経済発展の動きと言えるが、当時の韓国の全国民が本当に生きるためにこの運動に参加した。これは驚異的な成功を収めた。韓国の経済は急速に発展し、1988年にはソウルオリンピックを開催するまでになった。そして政府にいた軍人たちが退き、民主主義政府が発足し、民主主義も発展した。
韓国は経済発展と民主主義という二つの目標を達成した。しかし、現在の韓国の少数の人々は軍人たちの独裁が韓国の民主主義を妨害したと言う。しかし、これは子供の不平に過ぎない。五十年前の韓国は貧乏で、民主主義は贅沢だった。ひたすら食べて生きることが重要だったし、それをするには、何よりも経済発展が急務だった。重要なのは過去ではなく現在の結果である。現在、韓国は歴史の中で最も富裕に暮らして、K-POPなどの韓流が世界で有名になっている。果たして韓国が経済よりも民主主義を重視した場合、はたしてこのような結果が出たかは疑問だ。
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