2012年10月21日日曜日

キム・ブライアン

世界で最も貧しかった韓国がどのように短期間で経済成長を遂げたのか

  五十年前の韓国は1人当たりの国民所得が50ドルにしかならない、世界で最も貧しい国の一つであった。二十世紀の初中盤は確かに韓国の歴史の中で最も悲惨な時期だった。日本の侵略で国が滅びたし、日帝強占期と呼ばれる三十六年の日本の支配と収奪、そして解放後は韓国戦争が発生して、国民と国土は荒廃した。韓国に残っていたのはただ貧困と絶望だけで、世界の誰も韓国に希望を期待していなかった。私の祖父の言葉によると、五十年前の韓国は乞食と飢えで死ぬ人が多かったさらには北朝鮮よりも貧しかったという。もしこのような事実を、世界の多くの国の人々に話をするとは到底信じられないだろう。その後、五十年には世界で最も貧しい国だった韓国がどのようにこのような短期間に経済成長を遂げることができたのだろうか?
  二十世紀後半経済成長は、一言奇跡としか表現できない。世界くの経済学者経済成長きながら、首都ソウルをれるにちなんで漢江(ハンガン)​​奇跡」とんでいる。ところが、このような経済成長は、独裁まった。その当時政治的そして不安だった時期であり、共産化険があった。この時、デタこした兵士たちの中の「朴正熙」(パクチョンという軍人司令官大統領になった。現在親日売国奴あるいは独裁者過去のためにで論争の対象になっている人だが、経済成長きな役割をはたしたとされている。民主主義よりるべき経済成長選択した。まず、くの批判けてまで、日本との修交をして過去植民地支配する補償金けてきた。この補償金経済発展注力した。この時登場したのがまさに「セマウル運動」である。「セマウル運動」は、経済発展きとえるが、当時国民きるためにこの運動参加した。これは驚異的成功めた。経済急速発展し、1988にはソウルオリンピックを開催するまでになった。そして政府にいた軍人たちが退き、民主主義政府発足民主主義発展た。
  韓経済発展民主主義というつの目標達成した。しかし、現在軍人たちの独裁民主主義妨害したと言う。しかし、これは子供の不平ない。五十年前貧乏で、民主主義だった。ひたすらべてきることが重要だったし、それをするには、よりも経済発展急務だった。重要なのは過去ではなく現在結果である。現在歴史の中で最も富裕に暮らして、K-POPなどの韓流世界有名になっているたして経済よりも民主主義重視した場合はたしてこのような結果かは疑問

0 件のコメント:

コメントを投稿