2012年10月20日土曜日

ヤン・ウェイチー


「飛んで火に入る夏の虫」
 夏が過ぎ、秋が来たとは言え、アイオワの天気はまだ時に暑い。今の住所に引っ越す前に、私の部屋の机はいつも窓から離れているので気付かなかったんだが、アメリカの夜もやはり光が好きな虫は明かりを目掛け、窓に寄せ付けて来る。前日、その虫たちの中に1頭の蛾の姿があった。中国にも「蛾が火に飛ぶ」という意味の四字熟語があるので、自然に「飛んで火に入る夏の虫」という諺が頭に浮かんで来た。「飛んで火に入る夏の虫」と言うのは、自ら危険な所に身を投じ、災難を招くこと。どうしてそのようなことをするのだろう?私はそのことを不思議に思った。炎に飛び入ることに何か意味があるだろうか。科学的な説明により、夏の虫が火に飛び込むのは、蛾のような夜行性の虫は光に向かって飛ぶ習性が持っているだからだ。虫たちのことだから、多分それは相当危険なことですら分っていないだろう。しかし、果たして本当にそうなんだろうか。もし虫たちはそれが危ないと気付いたら、火に飛ばないことになるのか?
 研究によると、蜂や蟻の群には高度な社会性があり、その個体にも知恵があるはず。特に蟻は他の虫を牛馬のように扱うこともあるようだ。空気の流れで危険を察知出来る虫たちは高温の炎の周りを飛び、火の危険さを知らないとは思えない。それでも命に代えて飛び込むとは、虫たちにとり、火の光は一体何なんだろう?猫は高いところから落ちても死なないから、英語には「猫に命が九つある」という諺があるけれど、同時に「好奇心は猫を殺す」もよく言う。猫より遥かに弱い虫たちは、ただ興味深いという理由で火に飛び込むだのか。象は死ぬ前に群から離れ、ご先祖たちの墓場を探し、そこで逝くらしい。蛾も象と同じ、自分に相応しい終焉(しゅうえん)を望んでいるのか。人間でも火事に遭い逃走する場合は、時に明かりのある方向に向かい、逆に火災に巻き込まれそうだ。こういうのは生き物が数億年の進化と淘汰を越え、骨の髄(ずい)に焼き付けられた衝動なのか。どのような国の言葉でも、「光」という単語はよく希望と繋がっている、辛い暗闇の中に道を照らしてくれるからだ。難しいことは分らないが、虫たちにとり、光はやはり希望?それとも憧れ?あるいは求めた夢?どちらにしても、それに命を掛ける価値はあるのだろうか。決して何かを残すためではない。何かを残したいなら火に消えることはしない。その記憶力と命の長さを考えると、思い出にすら残さないと思う。だとすれば、それはただただ自分のためだけの行為としか考えられない。
 命で引き換えて、何も残さない。それでも尚明かりを求めている虫たち。彼らは結局その破滅の光に何を得たのか。命がなければ成せることはないと私は思う。たとえ命より価値のある品物を手に入れたとしても、その本人がいなくなったら何の意味があるのか。私にはやはりこの全てが不思議すぎるのだ。一つだけ分ったことがあると言うのなら、それは彼らは今日も光を求めていること、たとえそれが火の光でも。その行為が不可解と思うと同時に、羨ましいとも思う。命の炎より美しい光、私もいつか見つけるといいな、と何時も思っていたから。

4 件のコメント:

  1. プランキット・ミッキー2012年10月22日 13:33

    これはすごく面白いよ。私が虫の考え方をほとんど考えたことがないけど、この作文を読むと、いっぱい考えちゃった。虫や動物にとって、命はどういう価値があるのか、または、本当にそのことを意識できるのかな。

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  2. タン Xiaoqi Tang2012年10月22日 16:46

    すげーな。。。本当 分からない言葉はたくさんあって、私自分の日本語が悪くなったと思う。 冗談だ~ でも一つ秘密を教える、私は蛾なんて大嫌い!!!超怖い生き物と思う。私は多分「moth phobia」があるかも。中国では蛾がなんか勇気がある生き物と思って、私も子供の時から、この諺が知っている。でも原因がさっぱり分からない。分からないとか、私全然知りたくないとか、さあ。。。。やばり、あなたがすげーな。。。。でも蛾の夢は何? 

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    1. そうですね、蛾はちょっと。。。蚕は白くて太ってで、可愛いところがあると思うけど、蛾は。。。(笑)

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  3. すばらしい作文ですよ!良いトピクを決めたと思います。私もそのことは不思議だとおもいます。私は虫があまり好きじゃないですが、虫が面白いと思ってしかたがありません。ことわざについて書いたのはかっこいいです。私も高校時代、「猿も木から落ちる」と言うことわざについて書いてシカゴの日本語のスピーチのコンテストに読みに行きました。楽しかったです。

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