2012年10月19日金曜日

ガン・カンイン

過ちを繰り返す者
      私は最近いつも不思議に思う事があるのだ。それは、人がなぜ歴史を繰り返すのかという事だ。地球が誕生し46億年、我々人間の祖先が地球で生まれ約400万年以上経った。人は進化を続け、文明を築き今に至る。しかしこの長い歴史の中で、人は過ちを犯し、忘れ、そしてまた過去を繰り返してきた。私にはどうしても理解できない、なぜ過去の過ちを、教訓を忘れ、再び犯すのか。ここに例を挙げたいと思う。
    一番分かり易い例は戦争、争いである。人が誕生して今に至るまで、争いが絶えたためしがない。最初は水を、食料を、土地を求めて、そして果てなき欲望のために、人は戦い続けてきた。私にはどうしても理解できない、理解できるけどできないのだ。同じ人間なのに何故互いを傷つけあいあやめることができるのか?例えどれだけ人が進化しても、一つだけ覆せない事実、現実がある、それは失われた命が二度と戻ってこないという事。そんなこと誰にでも分かっているはずなのに、何故あやめるのだろうか。戦争は数えきれないほど行われてきた、ならば分かるはずだ、戦争から生まれるのは憎しみ、悲しみ、怒りしかないと。多くの人間が死に、教訓を得たはずなのに、人はそれを忘れ、再び繰り返す。誰かを不幸にしかしない戦争を、争いを。
      理解はできる。私も他者を傷つけたことがある。それで優越感、不思議な満足感を得たこともある。それが理由の一つなのかもしれない。己の欲望を満たすために他者をあやめる。そして本能なのかもしれない、誰もが生まれ持つ闘争本能、欲望、願望を満たそうとする人間の遺伝子レベルに埋め込まれた拭い去ることのできない本能なのかもしれない。
理解はできても、やはり不思議に思ってしまうのだ。過去を繰り返す事に。教訓を受けても人はやがて忘れてまた繰り返す。なぜ人は変わらないのか、一から築き上げてきた文明と科学技術のように、何故人は進化しないのか?本能に抗おうとしないのか。この問いに友達は「人が人でなくなる、だから変わらない」と答えた。ならばなぜ人は人でいなければいけないのか、そもそも人とは何なのかと私は問い返したい。進化は犠牲を伴い、犠牲なくして何かは生まれない。だから仕方ない、そういう人たちがいる。それはただの言い訳に過ぎないと私は思う。そんな人たちは自分が死んだことがないから、失ったことがないからそんなことが言えるのではないだろうか?死を知れば分かるはずだ。死の恐怖に、そして戦争の恐ろしさに、過ちを繰り返す人の愚かさに。そして不思議に思うはずだ、何故繰り返すのか。
      これが私が不思議に思う事である。私にはわかる。大事なものを失う辛さが、それがどれだけ苦しい事か。だから不思議なのだ。なぜ人は変わらないのか。過ちをくりかえすのか。今私の願いは世界が争いのない、誰もが平和に生きていける世界になることである。この願いに皆は不可能だと嘲笑うだろう。それでも願いたいのだ。叫び続けたいのだ。

2 件のコメント:

  1. なかなか奥深いトピックにしたね、ガンさんは。流石ガンダムファンってところかしら。
    そうだね、戦争はとても不思議なものだ。政治家と統制者は利益を得る為に、自らで「正義」を名乗り、戦争を起こす。しかし、流血するのは彼らじゃない。兵士たちは自分こそが正義と信じ、殺し合い。人を殺すことに正義があるはずがないのに。
    欲望、恨み、その恨みから生み出した新たな恨み。しかし、「どうして戦争をする」が分かったとしても、「どうして戦争にした」はやはり不思議だな。

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  2. ガン・カインさん始めまして、ドックと申します。ガンさんは興味深いものを書きましたね。たしかに人はいつも争いをしています。人は地球上で一番知能の高い生き物だけど、僕はずっとそのことを考えているとあるひとつ思い浮かびました。それは人も他の生き物も同様でどの時代も弱肉強食なんだと思いました。正しいかどうかはわからないですが、次の世代のために良いDNAを残すための戦いなのかもしれません。

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