2012年10月29日月曜日

ホウ・ナタリー

不思議な異文化
      私が不思議に思っていることは、なぜアメリカ人は学校によくスウェットパンツをはくそしてサンダルを履いて教室に行くことである。初めてこのカルチャーショックを受けたのは五年前にアメリカの高校に入った時である。その時の私はスウェットパンツは何かもわからなかった。完全にパジャマなどのパンツを思えた。えっ?パジャマで学校に行っちゃだめでしょう」「なぜみんなはサンダルを履いているの?」特に学校の先生たちもこの現象はふつうと思った。私はびっくりし過ぎて全然話せなかった。
今の私はなんとなくこの習慣を受け入れたし、夏もときどきサンダルを履いて学校に行くことがあるが、やはり私にとってスウェットパンツを履いて学校に行くことは無理である。私はまだ覚えてい。おととしのある朝、私が怠惰過ぎてスウェットパンツを履いてそのままで授業に行くつもりであった。だが、寮からバス停まで歩く途中で私は恥ずかしいと感じ、すぐ寮に戻ってジーンズに着替えた。スウェットパンツを履く外出することはどうしても我慢できない。なぜそんなに慣れないかの原因はたぶん小さい頃から中学までずっと台湾の学校の校則を守ったことであるだろう。たとえば、いつも制服を着て学校に行くこと、授業中は飲食禁止であったこと、キャンパス内の全校禁煙のこと、および授業で寝ないことなど様々なルールがあった。その考え方は今でも私の潜在意識に刻み込まれた習慣だと思う。だから、たまにキャンパスでアメリカ人のいくつかの行為や衣類を見て不思議に思うことがよくある。どうしてアメリカ人はよく学校でスウェットパンツとサンダルをはくの?長い間この疑問はいつも私の心に残っている。そしてとある機会に、私が私のルームメート、エリザベスというアメリカ人にこの疑問を聞いた。そして彼女はこんな答えを出した。アメリカ人にとってスウェットパンツとサンダルは一番快適な服であるから。さらにアメリカの学校のドレスコードはそんなに厳しくない。だから自分がもっとも好きな服を選ぶのはいいじゃない?彼女はそう言った。
私が見たら、これは文化と習慣の違いである。私はスウェットパンツのことが嫌いではない、ただ部屋に着ることだけのは私の習慣である。言い換えれば、つまりもし私がスウェットパンツをはいて台湾の大学で歩いていたら、ほかの人たちは絶対に私のパンツのことをおかしいとうだろう。結論として、私が不思議に思っていることはアメリカ人の文化と習慣、およびアジアと異なるアメリカの大学の校則である。

2012年10月23日火曜日

ウォーカー・フィリップ


「日本の引きこもり」

私が最近不思議に思っていることは日本の引きこもりだ。私はその言葉を初めて聞いた時、「引きこもりとは何?」と思った。一人で調べてみて、少しびっくりした。その言葉を聞いたことがなかったんだ。引きこもりの生活と引きこもりの事件はとても面白く、少し悲しいと思った。引きこもりはどうしてその寂しい生き方をする?私が最近その質問をとても不思議におもっている。

引きこもりについて、最初は「引きこもりとは何?」の質問に答えなければならない。引きこもりには詳しい振る舞いのパターンがある。二つ目のは引きこもりが毎日ほとんど家で全然出さないことをする。二つ目に、引きこもりには交流のことを避ける。三つ目は、その前の書いた引きこもりの病徴は普通の生き方を差し支えることをしなければならない。例えば、学校に行かないでおり、仕事をしない。四つ目は、引きこもりの人はその変な行動を自分で合理化する。五つ目は、六か月以上、前の書いた病徴をしなければならない。最後のは、引きこもりは引きこもりの病気以上に、他の病気を持ってはならない。引きこもりはよく自分の部屋でコンピュータを使っている。それに引きこもりはよく実生活にはあまり友達がいなく、ネットで他の人とチャットする。引きこもりもよくゲームしており、時々このゲーム通して、お金を儲ける。この人は学校に行かなくており、仕事をしないから、朝から晩までゲームだけ出来、オンラインゲームのアイテムを集め、ネットでお金のために売る。しかし、引きこもりも十人十色だ。アルバイトをしている者もおり、時々食べ物のために外に出る。しかし、ある引きこもりは本に全然外で出さない。その人はどうやって生きるのかどうしてそのような生き方をするのか。

引きこもりは子供の時から引きこもりではなかった。引きこもりは段々恥ずかしいになっており、段々社会から忍ぶ。引きこもりの社会から忍ぶことはよく心の傷から始まる。例えば、引きこもりは学校の失敗や社会的な失敗などをし、その心の傷の理由で家から出たくない。引きこもりの病徴はよく不登校のことに端を発する。引きこもりはたいてい長男で、両親はたいてい中産階級の人だ。引きこもりの両親はよくその子供を賄うから、引きこもりは働かなくてもいい。その上、その両親はよく甘い顔をしており、堅苦しくない。

      引きこもりの生活はとても悲しいと思う。その人は子供みたく、成人しない。実は、私がよく知っている人はアメリカに住んでおり、引きこもりと同じだ。その理由で私は引きこもりには興味がある。その人は中学校の終わりごろから友達に会いたくなかった。私がその人の家に行き、ノックをするとその人はいないふりをした。あの時、私はその人の行為は少し変だと思った、あまり深刻だと思わなかった。その人は高校の時、学校に行っており、時々外で遊んだが、よく一人で部屋でゲームをしていた。大学の時、その人は一人暮らしアパートに住んでいた。その人はよく不登校をし、全然部屋で出さなかった。自分で買い物に行かなく、ネットでピザと他の食べ物を買っていた。その人は一年後、授業を失敗し、学校を退学した。23歳なのに、その人はまだアルバイトと仕事がなかった。しかし、その人は何とか他の大学生に入った、もう一度学校に行っている。

2012年10月22日月曜日

プルンキット・ミッキー

歴女(れきじょ)

   この間、毎日新聞をネットを通して読んでいたら、けっこう面白い記事が目についた。この記事の話題は「歴女」と言う人と「歴女」の背景だった。たぶん、この作文を読んでいる皆さんは「歴女」と言う言葉を聞いたことがないに違いないが、日本語を勉強している私たちには、ただ名前の漢字を読みさえすれば、意味を簡単に推測できると思う。明らかに、「歴史」の「歴」があり、そして「女性」の「女」もあるので、この言葉の意味は歴史が熱心に大好きな女性と形容する言葉だ。歴史といっても、一般的な歴史やただの日本史ではなく、この女性が大好きなのは日本の戦国時代の侍だ。
   私の意見だが、もし、アメリカ人と話す時、日本史と言うと、大体皆がこの戦国時代をすぐ考える。日本人のケースはよく分からないが、たぶん同じじゃないかと思う。だから、戦国時代が好きな人はもうたくさんあり、別に変じゃないと思う読者もいるだろうが、私がこの現象が不思議だと思う理由は「歴女」と言う女性が戦国時代の侍をアイドルや有名な俳優のように慕うと言うことだ。
   この記事によると、「歴女」はよく大好きな侍の元の出身を意欲的に尋ねたり携帯ストラップを始め、侍の城のモデルや戦国時代をかっこよくするテレビゲームやドラマを飽くことなく買うらしい。それだけではなく、一番面白くて滑稽な例はある女性が戦国時代に侍が履いた形のパンツを買って、彼氏や夫にプレゼントとしてあげることもある。
   この記事によると、「歴女」の現象が始まったのは2005年ぐらいだと思われており、その時からこういう女性がだんだん増えてきたせいで、「歴女」に関する店も出店され始めたと言う。この店の中で、一番最初にできたのは『時代屋』と言う本屋だ。「時代屋」の商品はほとんど全部「歴女」の好みに仕立てられており、侍の伝記や家紋の形から作られたお守りなどの商品がたっぷりある。それに、漫画カフェのようなお茶を飲みながら、本や漫画を読むことができるスペースも時代屋にあるので、ここ数年間、人気がどんどん出ているらしい。
   この記事を読んだ時、私はずいぶんびっくりして、面白いと思ったが、知りたいこともあった。「この現象の原因は何だろう」と私は思った。つまり、このことが一体どうして今はやっているのかという質問だ。このごろ、日本人の女性がかっこいいと思う男性を考えると、ジャニーズのような人気があるポップグループやアイドルが一番代表的だと私は思う。これら男性はかっこいいことはかっこいいかもしれないが、そのかっこよさは侍のかっこよさとかなり違うだろう。侍は一般的に体が強くて、けんかも強いし、こういう男っぽい特徴があって、今のポップスターが正反対に見える。
   人によって、様々な意見があるが、私はあまり調べていないが,たぶん人間の気まぐれの精神が原因じゃないかと思う。つまり、元の完璧な男性は侍のようで、時間がたつと、女性の欲しいのが変わった。もしかしたら、今の「歴女」現象はこの傾向がもう一度元の状態に戻ってきたのかもしれない。

2012年10月21日日曜日

ライダー・マイカ

人間というのは不思議な生き物
   この世界には色々な不思議な事があるが、科学のおかげで、人類の知識が進歩した。それに、インターネットが開発されて以来、人々はその知識を手に入れたので不思議に思っていることはどんどん減っている。私が不思議に思っていることは人間の行動だけだ。そういう不思議な行動は文化の違いのせいで起こっている。アジアの国の文化はアメリカと全く違うから不思議に思うことが多い。
   一つ気になるのは日本の集産主義だ。私にとって自立と自由は大切だ。日本人は全部同じではないが変わった生活をしている人はよく差別を受ける。出る釘は打たれるという諺もある。確かにその考え方にいい点があるが、自分と違っても、人の生活や性格を認めなければならない。でも、引篭りという人も不思議だ。どうして外に出ないか、精神衛生が悪いのか、それとも社会が嫌いなだけなのか、その質問の答えを聞きたい。そんな生活は楽しくないはずだから、引篭もりはきっと嬉しくない。そして、引篭もりの両親はいつも面倒を見て、家賃を払ったり、食べ物を買ったり、洗濯をしたりするので大変だ。両親はどうしてそこまでがまんする理由が分からない。いくら自分の子供が好きでも、限界があるはずだ。いつか、自己管理を教えなくてはいけない。
   日本の不思議なことで続けば、次は少子化だ。経済と文化の影響があるとよく分かっているが人間として子供を育てるのは基本だ。その問題で経済がもっと悪くなっている。年配者は増えていて、まだ働いていている人が少なくなっているので社会の問題になっている。
   韓国の扇風機の都市伝説もとても不思議だ。その伝説は扇風機をつけたまま眠ると窒息や低体温症などで死ぬという都市伝説だ。もちろん扇風機が人を殺すことは科学的に不可能だが、この都市伝説を信じる人はかなり多いので扇風機を買ったら注意があって、切タイマーが付いてある。世界中に変なことを信じているが人がいるが、頭がいい人もその都市伝説を信じるかどうかが気になる。例えば、パデューに来る韓国人は頭がいいはずだが、それでもそんな都市伝説を信じるかどうか知りたい。
   アメリカにも不思議なことがある。インディアナ州の法律によると手裏剣という武器は禁止だ。それに、禁止されたのは「手裏剣」ではなくて、「チャイニーズサロイングスター」だ。買うのも持っているのも禁じられている。でも、ライフルや拳銃は大丈夫だ。ライフルなら買う時と持っている時免許は要らない。拳銃なら外に持って行く時免許は必要だが、買う時必要ではない。銃の方は明らかに手裏剣より危ないのに手裏剣が禁止されたことはとても不思議だ。拳銃は手裏剣と同じで持ちやすいし、隠しやすいし、手裏剣だけが禁止された理由が分からない。
   知識が増えてくると不思議なことがますます消える。いつか不思議なことが全部消えたらこの世界は少しだけつまらなくなるかもしれない。でも、不思議なことを全部理解しても、本当に消えなくて、ただ変なことになる。そして変なことも面白いと思う。

カン・ジアルイ

暴力は愛国行為ことだが不思議
日本の尖閣諸島国有化に対する反日デモは、先から中国各地で始まった918満州事変の発端となった柳条湖事件があった日だ。中日戦争を始めた日として、中国では「国恥日」とも言われている。それで、先月の18日に反日デモが激しくなったせいで、たくさん悲しいことが起きてしまった。
9月16日に広東省深セン市で行われた27歳男性は、反日デモの現場で転倒し重体となっていた。 車道の間にあった柵を乗り越えようとして転倒、頭を打って重体となり、病院で亡くなった。亡くなった10月2日は、婚約者と結婚式を挙げる予定だったそうだ。
9月15日に大規模な反日デモが起きた陝西省西安市で、日本車を運転していた中国人の男性、51歳の李さんは家族と買い物に行った帰りに、十数人に囲まれ、石やこん棒、鎖で車を壊された。李さんが暴徒化した群衆に殴られ、大変な傷を受けた。 事件の3日後に、意識は戻ったが、右半身は動かないままで、言葉も十分に話せないようになった。
 私は中国人としてネット上でこんなニュースを見る時、本当に信じられない。自分の国を愛することを表すために、暴力を使うことが不思議だと思っている。私はデモの方法を選んで自分の意見を表すことに反対しないが、同胞の利益を奪ったり、体を傷つけたりことはぜんぜん愛国の行為ではない。そこで、理性的な愛国には三つの原則が不可欠だろう。
第一に理性的に世界を認識すること。帝国主義の時代に、中国は確かに科学技術が先進ではないせいで苦汁をなめたが、それだけではない。西洋文明から得たものによって中国は数千年の王朝交替の時代を抜け出し、科学、民主、自由、法治などの価値観も手にした。歴史を忘れてはならないが、その利益も知り、長期的視野で世界を受け入れるべきだ。今まで、たくさんの日本の会社は中国で市場を開発する一方で、工業と文化の産業を発展させている。例えば、自動車の技術とアニメの作り方は十年前に比べて、大きく改善された。
第二に理性的・文明的な愛国主義にすること。今、中国は大国としての台頭を続け、民族を復興させつつある重要な段階にある。どのような愛国主義を採用するかは将来、中国がどのような大国になるかを決める決定的な要素となろう。
第三に理性的に同胞を愛すること。同胞の利益を軽んずる者に愛国はできない。尖閣諸島問題が激しくなっているから、トヨタと日産などの日本の会社は悪い影響で販売数字が減り続けている。そんな状況を悪化させれば、たくさんの中国人の会社員を減らすはずだ。そして、反日デモがあるから、各地の日本レストランが休止しなければならない。自分が日本のものを反対すれば、日本について仕事をする同胞は仕事を失ってしまう。
それから、なぜデモをする時暴力事件があり、人を傷つけるのか、私は二つの原因を見つけた。デモ隊の中で、地方のごろつきや不良な人がたくさんいる。新聞によって、警察は人を傷つけた犯人を逮捕した後で、いつもけんかするし、悪いことをよくするし、暴力手段を使うことが好きな人が多分だということを発見した。そして、集会の自由も表現の自由もない中国の貧しい若者は、社会への不満を爆発させても政府の弾圧を受けないチャンスを待っていた。暴れる理由は何でも良かったのではないかという考え方です
私自分から見ると、故郷の瀋陽市は、中国の東北地方にあり、有名な柳条湖事件があった。満州事変の発端となると、中日戦争を始めた町だ。常識によると、反日の気持ちが最も強いはずだが、9月18日まで当日の大規模デモまでも、暴力事件が一件もなかった。私の故郷の例のように、日本のことを無理に嫌がることも絶対ない。日本のことが嫌な気持ちを持つ代わりに、私は日本の文化と言葉を学ぶことを通じて、両国各自の立場から歴史を理解し、周りの人と事実を冷静的に討論している。暴力手段だけを使っても、問題は解決できないと思っている。このような中国人はいっぱいいる

ムーン・ヒージュン

「なぜあなたはいつもあせっていますか」
「あの、運転者さん、急いでいるのでもう少しスピード出してください」「すみませんが早めにお願いします。」「ちょっと、時間ないから早くしてね。」早く、早く、早く。私が韓国住んでいた時、一日少なくても5回は使って、10回以上は聞く単語だ。その単語は、本当に急いでるので強要するために使うのか、それとも、ただの口ぐせなのかも分からない。どちらにしても、多数の韓国人はせっかちで、私もその中の一人だ。
これは私が韓国のカフェで働いたころのエピソードだ。勤め先は韓国で多分一番忙しい観光場所のミョンドンというところにあり、韓国人はもちろん日本人をはじめ多くの外国人が集る。初日に、カフェのマネージャーからコーヒー一杯を2分内で作りなさいと言われた時、私は驚くしかなかった。2分は、注文して待つ人にとってはそんなに短い時間ではないが、作る人にとっては、とんでもない時間だ。本当に2分内で作るわけではないが、お客に早く出せるように精一杯がんばった。しかし、汗を拭く暇もないままものすごく働いてる途中、「あの。。。注文して5分過ぎたのに、何でまだ私の飲み物は出ないんですか」などのソフトな不満から、「私のコーヒー、早く出せよ」などのアグレッシブな苦情を言った人はたいてい韓国人だった。そんなに忙しかったらコーヒーなんか飲まなければいいんじゃないと思ったし、自分は絶対に他のカフェへ行ってバリスタを急がせる行為なんかしないと思った。しかし、アメリカへ来て、おいしいコーヒー一杯を飲むためには、たいてい5分から10分くらい待つしかない。その時、がんばっているバリスタを急がせる自分を見て、私も仕方がない韓国人だなと思った。そういえば、昔、私は友達と15秒以内に、誰が数学の問題をもっと解けられるか賭けた覚えがあった。今になって考えると意味なかったけど、私たちが遊んでいる姿を見た先生はほめてくれたし、クラスみんなに同じものをするように強要した。韓国人みんなが同じ経験をするわけではないが、何かをする時、なるべく早めにしないといけないと洗脳されているはずだ。正直、急ぐのとゆっくりするのと、どちらの方がいいかわからない。与えた仕事を早く終わらせると、その残りの時間を自由に過ごせるが、完璧な成果が出にくいし仕事を楽しめる時間も減る。逆に、物に対してゆっくりと動くと、その分、自分がしていることをたっぷり感じられるが、たくさんの時間が必要だ。この理屈は新幹線と一般列車と同じだと思う。確かに新幹線はとても便利でどこかに行く時短い時間しかかからない。しかし一般列車は忙し時は困る可能性があるが周りの景色を見ながら他の場所へ行ける。
不思議なのは、誰かに追いかけられているように毎日忙しい日にはゆっくりな暮らし望むけど、いざ暇な日が来れば、心不安でイライラして仕方ない自分がいる。矛盾しているのは分かるし、なぜ多くの韓国人がそんなにせっかちだか疑問な答えにはなっていないけど、それこそが私がせっかちな人が多い韓国で生まれ、そこで育ったという証拠じゃないかと考えられる。

キム・ブライアン

世界で最も貧しかった韓国がどのように短期間で経済成長を遂げたのか

  五十年前の韓国は1人当たりの国民所得が50ドルにしかならない、世界で最も貧しい国の一つであった。二十世紀の初中盤は確かに韓国の歴史の中で最も悲惨な時期だった。日本の侵略で国が滅びたし、日帝強占期と呼ばれる三十六年の日本の支配と収奪、そして解放後は韓国戦争が発生して、国民と国土は荒廃した。韓国に残っていたのはただ貧困と絶望だけで、世界の誰も韓国に希望を期待していなかった。私の祖父の言葉によると、五十年前の韓国は乞食と飢えで死ぬ人が多かったさらには北朝鮮よりも貧しかったという。もしこのような事実を、世界の多くの国の人々に話をするとは到底信じられないだろう。その後、五十年には世界で最も貧しい国だった韓国がどのようにこのような短期間に経済成長を遂げることができたのだろうか?
  二十世紀後半経済成長は、一言奇跡としか表現できない。世界くの経済学者経済成長きながら、首都ソウルをれるにちなんで漢江(ハンガン)​​奇跡」とんでいる。ところが、このような経済成長は、独裁まった。その当時政治的そして不安だった時期であり、共産化険があった。この時、デタこした兵士たちの中の「朴正熙」(パクチョンという軍人司令官大統領になった。現在親日売国奴あるいは独裁者過去のためにで論争の対象になっている人だが、経済成長きな役割をはたしたとされている。民主主義よりるべき経済成長選択した。まず、くの批判けてまで、日本との修交をして過去植民地支配する補償金けてきた。この補償金経済発展注力した。この時登場したのがまさに「セマウル運動」である。「セマウル運動」は、経済発展きとえるが、当時国民きるためにこの運動参加した。これは驚異的成功めた。経済急速発展し、1988にはソウルオリンピックを開催するまでになった。そして政府にいた軍人たちが退き、民主主義政府発足民主主義発展た。
  韓経済発展民主主義というつの目標達成した。しかし、現在軍人たちの独裁民主主義妨害したと言う。しかし、これは子供の不平ない。五十年前貧乏で、民主主義だった。ひたすらべてきることが重要だったし、それをするには、よりも経済発展急務だった。重要なのは過去ではなく現在結果である。現在歴史の中で最も富裕に暮らして、K-POPなどの韓流世界有名になっているたして経済よりも民主主義重視した場合はたしてこのような結果かは疑問

ウォン・ティミー

どうしてアメリカ人はあまりかさをつかわないのか
      私が最近不思議に思っていることは「どうしてアメリカ人がかさを日本人より使わないか」。外国から来たばかりの学生たちは気が付けたでしょうか。雨が降る時、たくさんのアメリカ人がかさを持たないで外に出かけた。どうしてこんなことをするのか、理由がいくつかあるんだ。例えば、人によってかさを家に忘れたり、雨具を着たり、怠け者もいた。
      他の理由はたぶんアメリカ人にとってかさは面倒くさいから必要ないということだ。天気はいつも変わるから天気予報を見ない人がいる。「もう濡れるんだししょうがない」と考えている人もいるだろう。それと、アメリカで安いかさがないから壊れた後、もう一本を買うのが面倒だし、大学生だからお金があまりないので、かさを使わないでいいと思っている人もいるのではないか。大体みんなは車があるので、いつも雨宿りができる。駐車場には屋根があるから雨のことを心配しないんだろう。アメリカ人と日本人は全然違う。
日本人はいつも、雨が降りそうな時にかさを持って出かける。雨が降らない時も、かさを持っている人もある。特に、女の人たちが太陽の日差しから肌を守るためにかさを開く。日本でたくさんの人たちが外で歩いて、そして雨が降ったら服が濡れるだろう。服が簡単に乾かないから、濡れないように必ずかさを開いて雨から守るのだ。日本のかさはアメリカより安いから壊れた後も新しいのが買える。そのかさは大体百円から五百円までを買える。
私は雨が降る時、かさを使わないで外に出る。どうしてと聞かれば、車があるからあまり外で濡れないから必要ないんだ。それに、もし服が濡れてもすぐ乾かせて大丈夫だと思う。かさを持つのは面倒くさいから持たない方が楽だ。例えば、車やバスに乗る時かさを閉めるのは時々時間が掛かる。それをしながらもう濡れてしまうことがある。しかし、日本に行った時、雨が降ってかさを使った。たぶん日本人の影響があるかもしれない。僕の日本人の友は押し入れにかさをいっぱい持っている。いつもかさを忘れた時新しいのを買うそうだ。無駄遣いだと思うけど天気予報を見ないなら、しょうがない。
髪にジェルを使ったら必ずかさを使って、濡れないように気を付ける。アメリカの女の人が太陽から肌を守るため、かさを使う人に見たことないんだ。でも、アメリカの学生たちの間で最近パーカーが人気がありいつも着ている。特に秋は寒くなって、雨も時々降るので、パーカーはフードがあるから、それを着て、かさを使わずに雨から身を守る。
日本人と違ってアメリカ人はかさを使わないで外に出る人がたくさんいる。どうしてかと言うと、理由がいくつかある。一つは家にかさを忘れる事。そのほかは、かさが持つのが面倒くさいし、それに、一度濡れてしまえばもうかさを持つ必要がない事だ。時々雨具を着ている人がいるけど、このごろ雨具はあまり使われていないと思う。

2012年10月20日土曜日

リー・ウェン


「アメリカと中国結婚しきたり」
最近、フェイスブックでは結婚式の写真を載せるのが人気である。そして主に花嫁が主人公だ。その写真は花婿が結婚式の瞬間にウェディングドレスを着た花嫁を見て泣く、非常に興奮すると思う。そんな時に撮影者は色々な写真を撮ってから、フェイスブックで皆に教えてくれる。しかし、なぜ結婚式の瞬間に花婿は涙をした。中国と比較する、結婚式の中で、花婿より花嫁は容易に涙を流すのか。中国と比較すると、中国では結婚式の中で花嫁の方が花婿より容易に涙を流しそうだ。それから、私は今日のクラスの前にスミスさんというアメリカ人クラスメイトにその質問をしてみた。スミスさんは一年前にアメリカ人と結婚したので、式の準備のこともよく知っていた。 
アメリカの伝統によると、結婚式の前には、花婿と花嫁は会うことができない。その上、結婚式の前夜に、花婿も花嫁も別々に友達と「シングルナイト」というパーティーを遊ぶそう思う。だから、花婿は結婚式の瞬間に初めにウェディングドレスを着た花嫁を見るから、いそいそと涙を流すかもしれない。他方では、中国の結婚式は違うと思う。中国の伝統によると、結婚式の1ヶ月前に、花婿と花嫁はよく一緒にブライダルサロンに行き、どのウェディングドレスを着いて決断する。ですから、花婿は初めにウェディングドレスを着た花嫁を見る所へ結婚式場ではなく、ブライダルサロンではず。
      アメリカと中国の文化は色々な差異がある。中国人として、私は結婚に二人共通の責任なので、結婚の準備は二人で一緒に準備しなければならないと思う。その上、結婚式の前夜、花婿も花嫁も別々に自分の家で両親と話す、「シングルナイト」というパーティーはよくないかもしれない。中国の社会では、個人よりも家族を優先すべきだ。両親を尊重することが大切だと思う。それから、結婚の前に、両親の家に住んでいることも、ブライダルサロンでウェディングドレスを試すことも家族への責任の点を優先して考えるそうだ。しかし、アメリカ人として、結婚のことは二人責任だと思っている。中国と比較すると、アメリカ人はよく自分のことは最も心配するそう思う。明日、結婚しなら、最終の夜に友達と楽しみ遊ばなければならない。その上、花婿は結婚式の瞬間に、初めにウェディングドレスを着く花嫁を見たなら、花婿は容易に興奮した可能性が高いと思う。
      結婚式の写真を載せるのが不思議に思っていることだ。アメリカと中国は文化が違うので、色々なカルチャーショックがある。アメリカとか中国とか、どちらもいい点がある。しかし、私はアメリカの結婚しきたりが最も好きだ。アメリカ結婚しきたりと結婚式は最もロマンチックだと思う。二人が結婚式の瞬間にお互いに見なら、非常に興奮するかもしれない。私はフェイスブックで初めにその写真を見る後に、涙ぐましいし、深い印象を持っている。私は、女性の一生の中で、最も美しい瞬間はウェディングドレスを着いている時だと思う。結婚は一生で一日だけから、だれでも高い期待を持っているはず。中国結婚式は少しロマンチックと思う。結婚式前にお互いに見なら、何かサプライズがないかもしれない。ですから、花婿は結婚式でウェディングドレスを着た花嫁を見れば、幸福になければならない。

ヤン・ウェイチー


「飛んで火に入る夏の虫」
 夏が過ぎ、秋が来たとは言え、アイオワの天気はまだ時に暑い。今の住所に引っ越す前に、私の部屋の机はいつも窓から離れているので気付かなかったんだが、アメリカの夜もやはり光が好きな虫は明かりを目掛け、窓に寄せ付けて来る。前日、その虫たちの中に1頭の蛾の姿があった。中国にも「蛾が火に飛ぶ」という意味の四字熟語があるので、自然に「飛んで火に入る夏の虫」という諺が頭に浮かんで来た。「飛んで火に入る夏の虫」と言うのは、自ら危険な所に身を投じ、災難を招くこと。どうしてそのようなことをするのだろう?私はそのことを不思議に思った。炎に飛び入ることに何か意味があるだろうか。科学的な説明により、夏の虫が火に飛び込むのは、蛾のような夜行性の虫は光に向かって飛ぶ習性が持っているだからだ。虫たちのことだから、多分それは相当危険なことですら分っていないだろう。しかし、果たして本当にそうなんだろうか。もし虫たちはそれが危ないと気付いたら、火に飛ばないことになるのか?
 研究によると、蜂や蟻の群には高度な社会性があり、その個体にも知恵があるはず。特に蟻は他の虫を牛馬のように扱うこともあるようだ。空気の流れで危険を察知出来る虫たちは高温の炎の周りを飛び、火の危険さを知らないとは思えない。それでも命に代えて飛び込むとは、虫たちにとり、火の光は一体何なんだろう?猫は高いところから落ちても死なないから、英語には「猫に命が九つある」という諺があるけれど、同時に「好奇心は猫を殺す」もよく言う。猫より遥かに弱い虫たちは、ただ興味深いという理由で火に飛び込むだのか。象は死ぬ前に群から離れ、ご先祖たちの墓場を探し、そこで逝くらしい。蛾も象と同じ、自分に相応しい終焉(しゅうえん)を望んでいるのか。人間でも火事に遭い逃走する場合は、時に明かりのある方向に向かい、逆に火災に巻き込まれそうだ。こういうのは生き物が数億年の進化と淘汰を越え、骨の髄(ずい)に焼き付けられた衝動なのか。どのような国の言葉でも、「光」という単語はよく希望と繋がっている、辛い暗闇の中に道を照らしてくれるからだ。難しいことは分らないが、虫たちにとり、光はやはり希望?それとも憧れ?あるいは求めた夢?どちらにしても、それに命を掛ける価値はあるのだろうか。決して何かを残すためではない。何かを残したいなら火に消えることはしない。その記憶力と命の長さを考えると、思い出にすら残さないと思う。だとすれば、それはただただ自分のためだけの行為としか考えられない。
 命で引き換えて、何も残さない。それでも尚明かりを求めている虫たち。彼らは結局その破滅の光に何を得たのか。命がなければ成せることはないと私は思う。たとえ命より価値のある品物を手に入れたとしても、その本人がいなくなったら何の意味があるのか。私にはやはりこの全てが不思議すぎるのだ。一つだけ分ったことがあると言うのなら、それは彼らは今日も光を求めていること、たとえそれが火の光でも。その行為が不可解と思うと同時に、羨ましいとも思う。命の炎より美しい光、私もいつか見つけるといいな、と何時も思っていたから。